寝ても覚めても夢を見るんだ


 困惑の色が隠しきれない相手に、成歩堂は小首を傾げた。

喩えるのなら『借りてきた猫』

 外見は、どちらかと言えば「猫」と言うよりも毛並みの整った「大型犬」なのだが、今夜はやけに大人しい。
 今も響也はその金の巻き毛をふわりと揺らしながら廊下の先を見つめていた。唇の端を引き結んでいる仕草がいかにも可愛らしくて、「ホント、君可愛いねぇ。」と言ったら、きつい視線で睨まれた。
 …睨まれたが、後が続かないのだ。
 普段なら、その端正な貌に不似合いな罵詈雑言が返って来る。辛辣なようでいて会話を留めるような類のものではないから、言葉の応酬がなんとも言えず心地良い。しかし、今日に限って顔を赤くして黙り込んでしまった。面白くない。
 しかし、それ以上に気にくわないのは、隙を見せると逃げ出そうとするところだ。今だって、こうやって肩を抱いていないと、尻尾を丸めて後ずさりをしそうな勢いなのだ。
 正直気分を害する。
 自分としては合意に基づいての行為だと思っているし、強制しているつもりもないから、そんなに嫌なら来なければ良いのにと思わないでもない。
 片目で窺うように視線を送ると泣きそうな顔をしていて、これも困る。未成年の頃からの知り合いだから、こういう表情を見せられると、どうにも子供を虐めている気分になってしまうのだ。娘を持つ身だから余計にそうなのかもしれないが、本気で居心地が悪い。
 この間、彼を抱いた時に、何か手酷い目に合わせただろうかと考えても、別段思い当たる節はなく、私室に連れ込んだ際、汚いを連発されたから掃除までしたのにと、己の機嫌も斜めになる。
 床に散らばるティシュに、こんなもの踏んだら妊娠しそうだよと言われた事を思いだして、成歩堂は不機嫌を昇華する方法を選ぶ事にする。
 
『底意地の悪さが出てしまうのは、響也くん。君のせいだからね。』
 決して自分の性格が悪い訳じゃないと、言い置いて成歩堂は私室の扉を開いた。


 真新しいベッドのシーツは天井の蛍光灯の乏しい光も反射して、眩しい程に部屋を照らしていた。廊下を隔てる扉にへばりつくように立っている青年に声を掛け、無視される。
 何を考えているのか、薄く開いた唇に手をあてて、ぼおっと瞳を彷徨わせていた。視線の先からすると積み重ねられた雑誌になるが、まぁそれを見ているって事はないだろう。グラビアモデルが艶っぽいポーズで誘ってはいるようだが。
「響也くん。」
「あ、なに…。」
 もう一度呼ぶと、はっと気付いたように顔をこちらに向け言葉を言い直す。
「なんですか?」
「何って、それ本気で言ってるの? 参ったな。」
 くくっと嗤うと、かあと頬を染まる。
 響也は不機嫌そうに端正な顔を歪めて、ベッドに腰掛けている成歩堂の前に大股で近付く。だらりと垂れ下がる成歩堂の腕を掴まえて、斜め前に身体を倒して軽く唇を押し付けた。
 犬同士が鼻先をつき合わせて挨拶を交わすのにも似た軽い口付け。
 存在を確かめるように、触れては、離れていく響也を成歩堂は好きにさせておく。瞼を閉じて、無心に繰り返す響也の様子は悪くはない。
 ただ、腕を掴んでいる指先が迷うように位置を変えていくのが気に掛かった。こうして触れあっているのに一体何に気をとられているのだろうか? 成歩堂の心中に懸念を生み、燻りは苛立ちへと完全に形を変えた。はあと息を吐いて、長い睫毛が上がっていくのを見つめてからニコリと嗤う。

「自分で脱ぐのと、僕に脱がされるのどっちがいい?」
 沈黙の後、ばっと腕を離して後ずさる。ぽかんと開いた口からは言葉が出て来ない。頬どころか目尻まで赤く染まっていた。
「ど、どっちって!?」
 しどろもどろになりながら自分の服と成歩堂を交互に見つめる。狼狽える様子が可愛いからもっと困らせたくなる。…などと言い出したら、実際目の前の検事くんはどんな貌をしてくれるのだろうか。
 想像するだに緩んでしまう口元は掌で隠して、上目使いに響也を視線に捕らえる。

「それとも、僕を脱がしてくれるのかな?」

 成歩堂のお強請りに響也が息を飲むのが見えた。


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